入道雲を山の向こうに見ながら、自転車で走る。
 道の左右両側には低い板塀が、道を挟むように続いていた。板塀は僕が子供の頃は真っ黒に塗られていたのだが、ずいぶんほったらかしになっていてすっかり色あせてしまっている。
 上にある夏の陽は強く、空がやたらと青い。さっきは雲がかかっていたのだが、それも僅かな間だった。強烈な日差しは地面からも照り返す。それと相まって、影があまりにはっきりと地面に濃く映るものだから、この眼に見える世界はまるで白黒版画だ。
 田舎道だが道路は一応舗装されているし、きつい坂も特にない。きいきい鳴るペダルをこぎながら、辺りを眺めるだけの余裕はある。
 仮にも社長だから、普段は車でばかり移動する。自転車もたまには新鮮だ。こうしてぬるい空気の流れに全身を晒すのも。
 涼風とはとても言えないけど、車の中にいるよりましだ。

 道沿い、くすんだ墨色をした板塀の向こうには、そろって同じ形の家々が建ち並ぶ。洗濯物がちらほらと干してあったりもするが、人の姿はなかなか見えない。平日の昼間だからというのもあるけれど、それ以前にそもそも人が少ないのだ。
 辺りの家は全て、蔵原鉱業(うち)の鉱夫とその家族向けの住宅である。国内鉱業は、輸入物に圧されているこの時分、徐々に衰退の途をたどっている。われらが蔵原鉱業も例外ではない。採算をとるために、効率が良くないと判断した坑道を年々少しずつ閉鎖している。他の坑道に回せない分の鉱夫はここを去った。かくしてここいらの空き家は増えつつある。
 もちろんそれで全体が上向きに転じるわけもないが、他に何かしようがあるでもない。

 親族経営のいいところのわが蔵原鉱業は、父が死んだとき一族から跡継ぎを出さないといけなかったのだが、そんな具合だったから社長になりたいなどという物好きは出てこなかった。他に適任者も見当たらなかったし、仕方ないから僕が跡を継いだ。成り行きのままに、というより、それ以外に僕と一初が食べてゆく術はなさそうだったからだ。一初はやたら乗り気だったけど、あれはきっと面白がっていただけに違いない。
 ふだん投げやり気味な役員たちからも、若すぎる新社長への文句は出ず、むしろどん詰まりの状況を打開してくれるのではないかとの期待感がにじんでいる有様だった。それくらいでなんとかなるなら苦労はないのだけど、とそのときも思ったものだ。
 驕りでなく、蔵原鉱業はこの町の草創期から、その中心になってきた。今でも――こうなった今でも、それは変わらない。
 だからいずれはこの町も、ぜんまいを巻き直さない時計のように、ゆっくりと停まってゆくのだろう。

 顔に吹き付ける風は変わらず熱風だが、そこに草の匂いが交じってきた。
 白黒の風景をもうじき抜ける。そうしたら草むらの向こう、川にかかった木橋を渡れば、目指す病院がある。
 このへんまで来ると、電柱には一本おきに「楠医院 ↑」などと案内板が貼られている。僕の向かうその場所だ。
 規則正しい間隔で並ぶ電柱でこれほど頻繁に表示されると、迷わないのはいいかもしれないが、夜に病院へと向かうときなどは、はっきり言って怖い。救急車で運ばれる患者が窓からこれらを見れば、はや死出の回廊かと思い込みかねないだろう。いささか偏執狂めいている、とは楠当人に軽口で言ったことがある。そのときはなんと言い返されたのだったか。

 段差をがちゃんと乗り越えて、敷地に自転車を滑り込ませた。
 おざなりなトタン屋根が設けられた駐輪場に自転車を停める。この駐輪場を実際に利用するのは初めてだ。
 火照った躰を冷ますため、ワイシャツの首元をゆるめた。ぱたぱた扇いで風を入れながら、玄関にまわる。
 木製の重厚な開き戸の玄関、そこから左右に壁を伝って見渡せるのは、年季の入った大きな石造の建物だ。戸口のすぐ横には、これまた時代がかった分厚い看板が掛かり、『楠医院』 と筆書されている。
 この建物は戦前からあるものだというが、年を経てなお偉容がある。つくりがいいから補修すれば十分に使い続けられると、主の楠は建て替えようという素振りすら見せない。

 扉を開けた。
 古い建物の匂いと消毒薬のそれが混ざったそこに踏み込む。
 受付の娘に会釈したら驚かれた。車のエンジン音がしなかったのに、いきなり僕がひょいと入ってきたからだろう。説明が面倒だったのでひとまずそれはほっておいて、靴を脱ぎ、広い待合室を素通りした。
 清潔に掃除された廊下を進む。途中手押しワゴンを運ぶ看護婦と、すれ違いざまにまた会釈など交わしつつ、渡り廊下を通過して入院病棟に入った。もうすっかり慣れた道行きだとはいえ、病院内で感じる、この喉と目の奥が重たくなるような感じには、未だ慣れない。

 目当ての病室に近づいている。
 だが歩むにつれ、何か訴えている少女の声と、それに言い諭しているような女の声とが聞こえてきた。女はたぶん看護婦だろう。
 何を言っているかまでは聞き取れないが、少女の声は半ばうなり声じみていて、対する看護婦には疲れが視えた。
 またか、と思う。
 112病室。その番号票の下に貼られた名札には、「蔵原一初 様」とある。
 僕は足音も高く、その戸の前に立った。
 少女の声が止んだ。
 戸に手をかける。
 すると突然、
「おにぃー!」
 一初のはしゃぐ声が、無邪気さが耳と、僕を打つ。

もどる  つづく